文章のプラットフォーム

あまり文章が重要視されないInstagramのはずなのに、このところ長文を見つけると、なぜだかマメに読んでいます。

 

そんなことをしているせいか、最近SNSについての面白い文章を読んだせいか、まったく別件で頭を酷使していたり、荒唐無稽で面白い小説を読み終えてしばし離脱状態になってしまったせいか、とはいえ、やっぱりマメに読む癖がついたからだと思うけど、つい長文を書いてしまったのでブログにも転載することにしました。

 

ちなみに、Instagramのホーム画面?では、長文でも強制的に始めの2行くらいしか読めません。不思議なことに、文章に特化したブログやTwitterより、文章を投稿しようとする間際に感じる精神的負担が軽かったのだけど、文字が重視されてないところがポイントなのかもしれません。ともかく、私のような投稿ボタンをプッシュするのに多大な精神力を必要とするタイプの人が、投稿に至れるというのは大収穫だと思うのです。(ではこの投稿そのものについてはどうかというのは、判別しかねるところです。)

 

写真が乱舞する場所でとつぜん長文を投稿すると、本人としてもかなりの違和感を感じはしたのですが…、はてさて。

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中之条B制作記-5

さて、年も明けちゃいましたが昨年の記事のまとめを。
 

ぼやけた小学校の写真を横に作業をすすめていたら、
何の前触れもなく

「他の写真も見つかりましたよ」というOさんからのメールが。
なんと、探していたそのものの写真が送られてきました。
どうやらOさんのお知り合いが持っていたとのこと。

自力で探そうとすると見つからず、人に頼むとあっさりと…。
餅は餅屋、人脈の強力さと大切さを実感した一瞬であって、制作の方向性が決まった瞬間でもあります。





この2つの写真が実際に制作に使用した写真です。
展示に来てくれた方は知っていると思いますが、現在の学校はこちらの姿。



白黒の写真の方、下のものと比べると、同じ学校だってことが分かりますね。

ところで、いちばん上の写真のまんなかの窓に、生徒でしょうか、人の背中が見えます。

建物の形からみると、ここはちょうど私の展示した教室のように見えるんです。
面白い事に、この写真を使えば、過去のカメラの視線と現在の鑑賞者の視点が
被写体となった場所で交差するという仕掛けができるわけです。

 
この考えがキーになって、全体の配置などが決まっていったのですが
この後は電球を壊したり組み立て直したりの地道な作業が続いて、
気がついたら自分で決めていた〆切りなんてとうに過ぎていて

半分くらい作り直す部分が出たり、他にも問題が続々出てきて
最後の方はストレスで体調を崩しながらの搬入でした…。
 
すべての根源は、自分の予測の甘さにつきるんですけどね。これからの課題です。

中之条B制作記-4

役場の方に入り口の鍵を開けてもらって、いざ新しい廃校へ。

建物もコンクリ作りの立派な建物、

廊下の本棚には子供向けの本が入っている。

印刷室を覗けば、大量の紙のなかに大きな複写機が置いていある。

 
なんだか、ふつうの休日の学校へ入ったような雰囲気。

明日にはまた、にぎやかな声とともに

子供達が戻ってくるんじゃないのかな、という

まだまだ人の気配を残したまま、閉じられた学校。

私たちが動かなければ、耳の奥がきーんとなるような静けさ。

うーん。


校長室に入れてもらって、中を物色。

ここになにかあるかも、とのこと。

マホガニー?のデスクやフカフカのソファの上に乗ったりして

やや空き巣めいた動きをすること数分。

奥の深い棚からアルバムの束が出てきた。





新しいものから、古いものまで。

一枚一枚見ていく。



おや、この特徴のある建物は。

展示会場になる小学校だ。

ここにあるということは、他にも写真があるかもしれない。


そんな希望を抱いてすべてのアルバムを眺めてみるも

…ない。


おまけに、どの写真がどの小学校、地域の写真かがまったく分からない。

別の地域の写真もあるような気がする。

メモ書きもない。

いろいろと混ざっている。時間も、場所も。

戦前から、いきなり昭和にワープする。


これらの写真は、この地域の歴史の一部であるはずなんだけど

まったく整理されていない。

写真があることすら認識されてなかったんだから

これ、ほっといたら忘れ去られるな。


そんなことを考えていたら、だんだんと頭がぼんやりとしてきた。

こちらに到着してからずっと、

わずかな手がかりはないかと写真と本を眺めっぱなしで

慣れない作業に、そろそろ限界がきたみたい。


「とりあえず、今回はこれまでにしましょう。」


あちこちひっかき回して、小学校まわりの写真のありかがひとつ、分かった。
 

ということで、今回の収穫はOさんから預かった絵はがき、一枚。



奥の方に、小学校。まだ1階建てのときのもの。

拡大してみる。



ぼやけるね…。

でも絵はがきだ。絵はがきだな…。だけどね。


しばらくこの写真をPC上で眺めたりいじったりして、作品の形を練っていく期間が訪れます。

中之条B制作記-3

さて、どうしたものか。
 
お次は、もしかしたら写真のアーカイブがあるかもしれない、駅近くの歴史民俗博物館へ。
なんてったって、博物館ですものね。きっとあります。
 
…と、期待はしたものの、やっぱりここにも写真はなく。
職員の方も、これ以上はお手上げ、といった具合で。
 
まいったなぁと、本格的に途方に暮れていると、藁をも掴む情報が。
最近、また新たに閉校した学校があって、そこにもしかしたらあるかもしれない。

どういうことかというと、合併、閉校を繰り返すこういう土地の学校では、
古い学校の資料が新しい学校にまるごと移されている場合があるらしいのです。
 
これは最後の頼みの綱かも。

そんな気分で、でも妙な希望も持ちながらも、その学校へ向かったのでした。

中之条B制作記-2

写真にはたどり着かなかったけれど、時代の移り変わりで、どのように学校が姿を変えたのかを

ざっくりと見たところで、次の訪問先であるOさんのところへ。


ここでなんと、1階建て当時の小学校の姿が映っている絵はがきに出会うことができました。

温泉街を俯瞰で撮影した写真ですが、遠目で小学校だとわかるくらいには写っています。


現在はせまい坂道が建物の間を抜けている校舎の裏手も、当時はだだっ広い畑だった様子が見てとれます。

大きな旅館が建ち並ぶ現在とはちがい、周囲も木々に囲まれて、ひっそりと佇んでいる山奥の温泉街。

しかしながら、温泉街の入り口にある寿司屋は、この当時からソックリそのまま健在だということも分かりました。

あとで実際に確認したんですが、建物の形も変わっていないんです。すごい。


▲それがこの寿司屋さん。建物は昭和の雰囲気を残しているような。


それから、古い温泉街の写真をいろいろと見てみましたが、小学校の写真は見つからず。

今回は拡大して使いたいので、できるだけディティールが分かる写真がいいのだけど…。


写真が貴重だった当時は、わざわざ校舎だけを撮影するなんてことはしなかったのかもしれないね、

なんて話にもなりました。


閉校記念誌に載っていた写真があればなぁ。でも提供者が分からない。

本には載っているから、誰かが持っているはずなのですが。

なかなかたどり着きません。

中之条B制作記-1

さて先日、作品の素材を探しに中之条へ行ってきました。

今回の捜し物は、会場となる旧第三小学校の古い写真です。
 
事前に聞いたところでは、地元の温泉協会か、

地域の写真家さんが持っているのではないかということで、行ってきました。


温泉協会では、地元温泉街の歴史を写真で辿った本と中之条町史、
 
そして、小学校の閉校記念誌を見せて頂きました。


▲温泉街の歴史を写真で辿った本。この本の写真を保管している方は、すでに引っ越されてしまっていた。


閉校誌という存在を知ったのも、見たのも初めてでしたが…

学校が閉じるときには、こういう本が作られるんですね。

記念誌は記念誌でも、ちょっと寂しい記念誌です。


そこで小学校の過去の姿を追っていくうちに、

現在は2階建ての校舎が、建てられた当初は1階建てだったことが分かりました。

校門の位置こそ違えど、木造平屋の校舎はほぼそのまま、現在の校舎の東側部分になっているようです。

おお、すごい。


また、現在の印象的なデザインの校門は、当時通っていた生徒のお母さん達が

門もない学校に通っている自分たちの子供を可哀想に思って

共同で出資して作ったものなんだそうです。

いまだにその心意気を感じる門ですよ!

(実は、この門に惹かれて展示場所をここに決めたところもあります)


他にも、1階建て時代の写真はないか探してみたのですが、

あるのは温泉街の背景として映り込んでしまったものくらい。

それも、古い本の、古い写真ゆえに、

まっくろにつぶれて、よく見えなかったり。


担当のYさんや温泉協会の方にも色々とあたってもらったのですが、

オリジナルの写真のありかはわからない、とのことでした。

ですが、古い写真は民俗学博物館にまとめて保管してあるのではないか、という話になり

次の訪問先へ向かいました。

電球いろいろ


いくつか変わった電球を手に入れました。

電球というと、見慣れたしずく型?を思い浮かべがちですが、

写真のような、某SF映画を連想させるものや、もっと変わった形のものもあります。

そういうのはたいてい、特殊な環境下で使われるものとして作られているようです。

場所によって形状が決められていると言えるわけで。

また電球の形が変わるだけでも周囲の雰囲気がガラッと変わるので、わくわくしてきます。

点灯すると、ほわっと熱を持ちます。これもすでに懐かしい感触です。



こちらは、懐かしの豆電球。

出来るか分かりませんでしたが、難なく分解できました。

いつもはやらない磨きを入れたので、小さくてもちゃんと電球の構造をしているのが分かります。
 
さて、本番はここからで…。

今までとは別のやり方で、さらに分解していきます。どうか破裂しませんように。

お世話になったガラス工房へ




 インスタレーションに使用するガラス球の製作をしてくださった工房「厚木グラススタジオ」さんで、見学も兼ねて吹きガラス体験をしてきました。ほぼ5年ぶりの再訪だったにも関わらず、作品も私のことも覚えていてくださって嬉しい再会でした。



 製作を頼む側であれば気軽にやりたいことを言えるのですが、いざ作る側になってみると、初めて触れる素材の難しさもさることながら、普段は意識しない「息」で形を作るというアクロバティックな制作方法に、まったく対応できませんでした。



 風鈴のような丸い形を作るのも、粘土なら簡単なのですが、ガラスとなると息を吹き込む筒の先に神経を持っていくような、新しい意識で取り組まないとならないようなのです。職人さんの技の凄さを身に染みて感じました。それに、「息(いき)」で形を作るというのも、詩的なものが感じられて面白い制作手法ですよね。



 もちろん、体験用に作品を作るときは手取り足取り教えてもらえるし、まるで自分に技があるかと錯覚するくらい(!)スムーズに作れるので、体験にご興味のある方は気軽に訪れてみてください。



 体験してみてあらためて、自分の作品はあのガラス球がなかったら成立しなかったよなぁと思い、見事な球体のガラスだったので、また新たな場所で展示する機会を持ちたいですね。



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 このところの制作は、アイディアを練る段階から様々な人に協力してもらっている感じになっていて、今週はアドバイスを頂いたり、リサーチのために照明の展示会へ行ったりと、普段は行かないような場所に出向きました。



 そこで気づかされるのは、自分ひとりで捉えている世界はとても限定的なもので、その道に通じている人に会うと、物事に対して自分がどれほど素朴なイメージしか持っていないかということ。有り難いことに、最近は様々な分野に詳しい方とお会いする機会が増えているので、そのことをよく感じます。じっとしていたら出会わないような人たちです…。



 興味の赴くままに行動してみるのは一見フラフラしているようですが、そこは遊歩者の強みで、面白い出会いも発見もたくさんあるようです。
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